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サッカー日本代表・サムライブルーのユニフォームはなぜ青い?実は昔は赤だったことも【サッカーワールドカップ2022】
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“サムライブルー”が躍動している。11月20日に開幕したサッカーW杯。サッカー日本代表は11月27日、グループリーグ第2戦でコスタリカ代表と戦う。決勝トーナメント進出に向けて極めて重要な一戦となる。
ところで、彼らが試合で着用するユニフォームはなぜ「青い」のか。疑問に思ったことがある人もいるかもしれない。なぜなら、多くの国が「国旗」に使われている色をそのままユニフォームに使用している場合が多いからだ。
それを当てはめれば、日本は「赤」になる(白はアウェーユニフォームで着用)。実は、その昔は赤いユニフォームで戦ったこともあった。意外と知らないユニフォームの歴史を改めて見てみよう。
「ドーハの歓喜」をもたらした今大会のユニフォーム
日本代表の歴代の「ホームユニフォーム」は青を基調とし、そのデザインやコンセプトは毎回変更されてきた。時代や流行なども反映したものだった。
JFAによると、今回のカタール大会のユニフォームコンセプトは「ORIGAMI」。これまでのサッカー日本代表の軌跡と「山折り、谷折り」を重ねることで進化するORIGAMIを掛け合わせ、歓喜をもたらす祈りの象徴として表現しているという。
日本が初戦でW杯優勝経験のあるドイツに勝利したことは、まさに「ドーハ(カタール)の歓喜」と評されたばかりだ。試合後のロッカールームに「折り鶴」が折られて置いてあったのも、このコンセプトが関係しているとみられる。
ホームユニフォームのカラーは「ジャパンブルー」を基調とされた。また、背中の上方には「日の丸」が配されている。“国を背負う”と同時に、“サポーターの応援が背中を押す”というメッセージを込められているという。
日本代表のユニフォームはなぜ「青」なのか?
日本代表のユニフォームの歴史は古い。公式記録では1936年まで遡る。ベルリンオリンピックの際に選手が着用したのは水色(ライトブルー)のユニフォームだった。
ちなみにこの大会で日本は優勝候補のスウェーデンに対し、3-2の逆転勝利をおさめ、その戦いぶりが「ベルリンの奇跡」と言われたという。
日本代表チームのユニフォームはなぜ「青」なのか。JFAの公式サイトには、以下のように説明されている。
1930(昭和5)年の第9回極東選手権大会は国民の注目を集める大会だったことから、大日本蹴球協会(現、日本サッカー協会)は初めて全日本選抜チームを結成。この時から国際大会のたびに大日本蹴球協会によって選抜チームが編成されるようになりました。
それまでユニフォームは代表権を獲得したクラブのものがそのまま使用されていましたが、この時の全日本選抜はライトブルーのシャツを着用。この伝統が引き継がれ、ブルーが現在も日本代表のチームカラーとなっています。
同大会に最多となる12選手を送り込んだ東京帝国大学のカラーが採用されたという説もありますが、なぜブルーが選ばれたかは不明です。
引用:JFA(日本サッカー協会)
公式の見解でも、ブルーが採用された理由は不明だった。今では定番となり、親しまれている青色のユニフォームに、後から理由やコンセプトを付けた形と言えるだろう。
実は、過去には「赤」だったこともある
実は、日本代表が一定期間だけ赤いユニフォームで戦っていた時期がある。ご存じだっただろうか。
それが、1988年に日本代表監督に就任し、1991年のキリンカップで初優勝に導いた横山謙三体制の時だった。ちなみに横山さんは日本サッカー殿堂に入っている。
この期間の赤いユニフォームは、元サッカー日本代表の武田修宏さんも着用していたことがあるという。
JFAは「1988年以降に赤と白のシャツが採用された時期がありましたが、1992年には再び青と白のシャツに戻り、それ以降は青を基調にしています」と赤色がこの時限りであったことについて言及している。
元サッカー日本代表の井原正巳さんらが躍動した1992年のアジアカップでは、ホームユニフォームの色が青に戻った。以降は伝統と革新を繰り返し、現在の「ジャパンブルー」に至っている。
日本代表が「ドーハの悲劇」でW杯出場を逃したのは1993年。それから、98年のW杯初出場、2002年日韓共催でのW杯を経て、今大会で7大会連続7回目のW杯。
時を経て定着した青のユニフォームで躍動する日本代表。目指すは決勝トーナメント進出。そして、その先に見据えるのは初のベスト8だ。
Source: HuffPost