06.22
LGBTQ+の移民たちが語る「プライド」の意味
<性的志向を理由に迫害を受けて自国を逃れ、アメリカに移住した3人が今思うこと> 1969年6月、ニューヨークのマンハッタンにあるゲイバー「ストーンウォール・イン」に、警察の手入れが入った。同性愛がまだ違法の時代、密かに営業していたストーンウォールは、同性愛者たちにとって数少ない楽園だった。その夜、客たちは警察の暴力に抵抗し、抗議は数日間にわたる暴動に発展した。 ( このストーンウォール暴動が原点となり、6月はLGBTQ+の人々の権利擁護のための「プライド月間」になった。世界では今も71カ国が同性愛を法律で禁じており、うち11カ国では、違反者は死刑に処せられる可能性がある。今は同性婚も認められ、世界中のクィア(性的少数者)が希望と安全を求めてやってくるアメリカでも、差別は根強い。 難民支援NGO「国際救済委員会(IRC)」の予防アドバイザーであるクディジャ・アスガルは本誌に対し、一定数の人々はLGBTQ+の人々を「自然の摂理に反する」存在で、「平等な人間とは思っていない」と述べた。 一部の社会に根差すこうした考え方が、LGBTQ+の人々を弱い立場に追い込み、彼らの多くが家族から追放されたり、雇用機会を奪われるなどの差別の犠牲になっている。男性優位の論理で暴力や嫌がらせを受けることも多い。 偏見や無理解に苦しめられて移住を決断 一部のLGBTQ+の人々はこうした社会で生きていくことに耐えられず、逃げ出したり、時には自ら命を絶つ。以下に紹介するのは、IRCの支援を受けてアメリカに移住した3人。いずれもLGBTQ+であることを理由に迫害を受け、母国から逃れてきた難民だ。 ■リンジー・ソパル(ホンジュラス出身) ホンジュラスで育ったリンジー・ソパル(34)は、トランスジェンダーの女性。17歳の時に女性としての自分を意識し始め、22歳で正式に女性になった。そのことを知った両親は彼女を嫌悪して遠ざけ、すぐに周囲の人々からも孤立した。 ソパルが通りを歩くと、近隣の人々は彼女から子どもを遠ざけ、彼女を笑いものにし、非難し、唾を吐いた。仕事に応募すると差別を受け、地元の警察もほとんど頼りにならなかった。最終的に、ソパルは衣服のデザインや寸法直しを行う事業を立ち上げて、生計を立てる道を見出した。稼ぎは良く、生活も順調だった――しばらくの間は。 ある日、彼女の事業が順調であることを知ったギャングのメンバーたちが、彼女のアパートに押し入った。彼らはソパルに銃を突きつけて寝室に追いやると、部屋を荒らして高価なものを奪っていった。あるメンバーは「彼女の外見は気に食わない」が、生かしておけばもっと稼げるから殺さない、と言った。 ===== 残されたわずかなものをかき集めながら、「もうこの国を出て行こう」と彼女は決心した。無一文になった彼女が北を目指す方法は限られていた。彼女はメキシコを縦断する貨物列車「ラ・ベスティア(野獣)」に乗った。ソパルは列車の屋根に「クモのように」ベルトで体を固定して、(米テキサス州の)エルパソを目指した。一緒に列車に乗った仲間の中には、時速約30キロで走る列車から振り落とされて轢かれた者もいた。 なんとかアメリカとの国境にたどり着き、国境管理当局に出頭。3カ月と11日を移民収容施設で過ごした後、ようやく難民申請が認められた。拘束されて収容施設に入れられたことで精神的に大きなダメージを受け、自殺も考えたが、希望を持ってなんとか持ちこたえた。ソパルはその後、アリゾナ州フェニックスに居を構え、現在はそこで衣服のリニューアル会社を経営する。家族とは和解し、自立した「プラウドな(誇り高い)」生活を送っている。 父親に「殺すぞ」と脅された 「プライドは、まさに人生に幸福をもたらしてくれるものだ」と彼女は本誌に語った。「大切なのは誇りをもって自分の人生を救い、新しい国にたどりついて人生を立て直すこと。そして事業を立ち上げて、この国の成長を手助けしていくことだ」 ■シャディ・イスマイル(シリア出身) 自分を変える必要はないことに気づいた、というイスマイル FACEBOOK 25歳の時にシリアからアメリカに移住したシャディ・イスマイル(34)は、アメリカに到着した「2012年5月7日の午前11時30分」という日付と時刻を今でもはっきり覚えていると本誌に語った。彼の人生が「大きく変わった」瞬間であり、色々な意味で、人生という旅の新たなはじまりの瞬間だったからだ。 イスマイルは幼い頃に、自分がほかの人とは違うことに気づいた。ベリーダンサーとしての才能を自覚した時、父親から非難めいた目で見られたことがきっかけだった。2008年、シリア政府によって義務づけられている2年間の兵役を終えて彼が帰宅した後、両親は彼が同性愛者であることを知った。父親は彼に熱した石炭を押しつけ、殺すぞと脅した。その直後、イスマイルはシリアを去ってヨルダンに渡った。 ヨルダンで彼を待っていたのは、路上生活だった。仕事に応募しても次々と断られた。ようやく給仕人の仕事を見つけて、そこで2年間働くうちに、少しずつ評価が上がっていった。上司はイスマイルに「お前のことを誇りに思う」と言い、自分の子どもにも彼のように育って欲しいと言った。だがイスマイルが友人との電話で同性愛者であることについて語っているのを耳にすると、態度は一変した。 ===== イスマイルは路上生活に逆戻りし、彼が同性愛者だと知った3人の男から暴力を受けた。男たちに金を奪われ、顔や首には殴られてできた痣や傷跡が残った。翌日、イスマイルは国連のセンターを訪れて難民申請の手続きをした。1カ月後、彼はアメリカを目指す旅に出た。 新たな生活を始めたのはアイダホ州のボイジー。移住して15日後には、企業の用務員の仕事も見つかった。今は食肉加工工場での品質・安全管理の仕事をしている。 地元コミュニティーにも居場所を見つけた。占いをし、手縫いのブランケットや瞑想用の枕をつくる事業を立ち上げ、ボイジーで行われるプライド・パレードに参加した。彼の物語はすぐに全国的な注目を集め、アップルTVの「リトル・アメリカ(アメリカで移民として暮らす人々の実話を基にしたドラマ)」の最終エピソードで取り上げられた。 「プライドとは賛美することであり、自分を変えなくてもいいことだ」とイスマイルは本誌に語った。「私はゲイという人間ではない。もちろん私がゲイだが、ひとつの分類だけに特定されたくはないんだ」 ■クリスチャン(エルサルバドル出身) 24歳のクリスチャン(本人の安全のために、姓は非公表)は、祖国エルサルバドルでの「つらく悲しい」日々を経て、アメリカにやって来た。ゲイ男性であるクリスチャンは、ごく早いうちから、居場所のなさを痛感していた。友だちは彼から離れていき、仲間からはのけ者にされ、職場でも避けられた。卑猥な言葉を頻繁に投げつけられ、よく「捨て犬」のような気持ちになっていたと振り返る。 年齢が上がるにつれ、クリスチャンに向けられる攻撃は狂暴さを増していった。ギャングメンバーに通りで暴行を受け、金を出さなければ命はないと言われた。ギャングたちはじきにナイフを手に襲ってくるようになり、クリスチャンは自分と家族の命が危険にさらされるのではないかと不安を覚えた。精神状態は日に日に悪化し、クリスチャンはついに、祖国を去るときが来たと決心した。 彼はたったひとり、ほとんど無一文でエルサルバドルをあとにした。メキシコに着くと安堵感に包まれたが、それも長続きはしなかった。ゲイであることを理由に、移民シェルターから追い出されてしまったのだ。クリスチャンはアメリカとの国境に近い都市シウダー・ファレスまでのバス代を稼ごうと、15日間休まず働いだ。賃金には一切手を付けず、1日も早くお金を貯めるために食事も抜いた。やっとバスの切符を手に入れると一文無に戻ってしまい、バスに乗っている3日間は飲まず食わずで我慢した。 ===== シウダー・ファレスに到着した後、クリスチャンはシェルターに入ったが、飲食費や電気代を払わなくてはならなくなった。仕事を探そうとしたものの、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのさなか。シェルターを追い出されたクリスチャンは、アメリカ入国を試みたが、新型コロナウイルス対応策として2020年3月に導入された「タイトル42」という国外追放措置を理由に拒否された。今は「トライアングル・ホテル」という安全なシェルターを見つけ、移民専門弁護士と出会うこともできた。 クリスチャンは、2020年5月にアメリカに入国を果たしたが、今でも精神的苦痛に苛まれており、エルサルバドルとメキシコでの体験を克服しようと努めている。生活は困難をきわめ、先が見えずに大きな不安を抱えているが、これまでに経験したことのない自由も感じている。 クリスチャンは本誌に対し、「私にとってLGBTQ+プライドは、自由と人生、そして、ほかの人と同じように生きていくための権利を意味する」と語った。「今なら、自分はついに自由になったと言うことができる」 (翻訳:ガリレオ) ===== この投稿をInstagramで見る Carl Nassib(@carlnassib)がシェアした投稿 ラスベガスレイダースのカール・ナッシブ選手
Source:Newsweek
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