2021
06.16

政治家・菅義偉の「最大の強み」が今、五輪の強行と人心の離反を招く元凶に

国際ニュースまとめ

<庶民派政治家を首相に押し上げた最大の武器である「緻密な情報に立脚した判断の隠密性」と「決断後の猪突猛進性」が、自らを追い詰める> 菅義偉氏が第99代首相の座に就いて9カ月になる。これまでにデジタル庁創設を柱とするデジタル改革関連法案や、2050年までの脱炭素社会実現を図る地球温暖化対策推進法改正案などを成立させ、携帯電話大手各社の格安料金導入も実現した。 しかし、発足時に70%を超えた「国民のために働く内閣」の支持率は、5月に入ると30~40%に急落した。国民が厳しい視線を送る背景には、コロナ禍対策への不満がある。ワクチン確保の初動は遅れに遅れ、接種率はG7諸国の中で最下位。3度にわたった緊急事態宣言の発出は泥縄式で、感染拡大を封じ込めることができていない。7月23日からの東京五輪開催に反対する声は高まる一方で、国論は二分されている。 安倍晋三政権の官房長官時代、「危機管理のプロ」として評価が高かった菅氏だからこそ、100年に1度の災害であるコロナ禍での活躍が期待されていた。しかし、感染拡大防止と国民経済の保護という二律背反の中で、菅政権はいま袋小路にはまりつつある。果たして歴代短命政権と同じ道を歩むのだろうか。 二世議員でもなければ有力な閨閥を誇るわけでもない菅氏は、「平民宰相」原敬に始まり田中角栄に続く庶民派政治家の系譜に連なる存在だ。 久しぶりに現れた政治的階級闘争の勝者 昭和期の自民党政治は、吉田茂を源流とする官僚出身者と田中角栄に代表される党人派という二大勢力の相克が生むダイナミズムを活力源の1つにしてきた。 しかし21世紀に入ると、世襲組と非世襲組の見えざる分断が影を落とす。麻生太郎副首相や安倍前首相ら名門出身エスタブリッシュメントは地盤・看板・鞄を代々引き継ぎ、「美しい国」といった政治哲学を語る余裕を持つ。それが自分もエスタブリッシュメントに属したいという願望を持つ新興勢力を含めて、人々を引き付ける。 これに対して、地をはう努力で権力をつかんできた議員秘書や地方議員出身の政治家を支持するのは、何よりもたたき上げや市井の庶民だ。安倍政権と菅政権は政策的な連続性が強調されるが、中核的な支持層という点では質的な差異がある。非世襲組の庶民派政治家でありながら、世襲エスタブリッシュメント組との「天秤の均衡」を保つことで総裁選を制した菅氏は、実は久しぶりに現れた政治的階級闘争の勝者でもある。 しかし、菅氏が具体的に、どのような思想に基づいて行動を起こす政治家であるかを理解することは容易ではない。裏方気質の番頭タイプであるようで、陣頭指揮を振るい一気呵成に事を成就させる。細心の気配りと利害調整をする一方で、信賞必罰をためらわない。 ===== 菅氏を政治哲学なきマキャベリストだと批判する人もいる。2017年の加計学園疑惑の際に文部科学省が認めた内部文書を「怪文書」と言い放ち、直後に前文部科学事務次官のスキャンダルが新聞で報じられた。「目的のために手段を選ばない」手法も散見されるが、同時に「地方の庶民の暮らしを良くする」という政治理念は一貫してもいる。その相貌から真意は読み取れず、眼光に浮かぶ含意もまた読解困難である。 私は、09年に民主党政権が誕生した際に平野博文官房長官の秘書となり永田町で働き始めた。それから3年3カ月、今となっては「悪夢」とも称される民主党政権下で経験を積んだ後、13年から自民党の山口泰明衆議院議員、15年からは日本のこころを大切にする党の中野正志参議院議員(当時)の政策秘書を務めた。 18年に駐日デンマーク大使館の上席戦略担当官に転じるまでの8年半、「左」から「右」へ流れつつ、民主党とあまりにも違う自民党政治に驚愕したり感嘆したりしながらも、主に「政治とカネ」の問題に関心を持って永田町で働いてきた。 私が仕えた3人の共通点は、菅氏と同じ96年の総選挙で初当選したことだ。政治改革の一環として小選挙区比例代表並立制を初めて導入したこの総選挙は、300もの小選挙区を新設し多くの新人候補者にチャンスを与えた。その1人が菅氏だ。 自民党内で語り継がれる「菅伝説」 当選同期の中で菅氏が特に親交を深めたのが、山口泰明氏、中野正志氏、桜田義孝元五輪相、吉川貴盛元農水相であり、このうち2人がかつての私のボスだった。そこで私は数々の「菅伝説」を聞いた。それは、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)でイチゴ農家の長男として生まれたとか、高校卒業後に上京し、板橋区の段ボール工場で働くうちに一念発起し法政大学法学部政治学科に進学したといった、今では広く知られた話ではない。 むしろ、菅氏が国政進出後にどのようにして自民党内の「喧嘩の勝ち方」を覚えたかとか、政治的師匠である梶山静六元官房長官を98年の自民党総裁選で担いだ際にどのような「身の振り方」をしたのかといった生々しい話であったり、菅事務所の秘書は永田町で一番の激務をこなしつつもボスを敬愛しているとかといった舞台裏の逸話であったりした。 決してカリスマ的な存在感があるわけでもなく、また党人派にありがちな威圧感を売りにするタイプでもないが、「菅伝説」は自民党内で確かに語り継がれていた。 ===== 「令和おじさん」として有名に(2019年) FRANCK ROBICHON-POOL-REUTERS 私が見た菅氏の姿も同じ印象だった。例えばあるとき、選挙応援で地方に入った菅氏は、100人もの関係者一人一人とツーショット写真撮影をこなし、さらには急ぎの移動中の廊下でたまたま擦れ違った親子との記念撮影にも応じた。 いずれもマスコミの目を意識した行動ではない。他方で官僚に打って変わって厳しい態度を示すこともあるその姿は、同じ官房長官を務めたもう一人のボス平野博文氏と、かくもタイプが違うものかという感慨を私に与えた。 その菅氏の特徴として私が一番に想起するのは、独特の「俯瞰的視線」だ。人は他人をその視線で記憶するともいわれるが、菅氏独特の視線は容易には忘れ難い印象を残す。 菅氏は前述した98年の総裁選で、「無事の橋本、平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と称された旧陸軍航空士官学校上がりの梶山氏にほれ込み、ただの1回生議員でありながら派閥(小渕派、平成研)を離脱するという相当に思い切った行動を取った。その後宏池会に入会したが、自民党が野党に転落した09年に退会し、その後は一貫して無派閥の立場を貫いている。 「俯瞰的視点」と「時間軸の発想」 秋田というムラを飛び出し、自民党派閥というムラを飛び出した経験が、菅氏に日本政治の徒党性を相対化する独特の俯瞰的視点を与えたのかもしれない。 菅氏にはもう1つ「時間軸の発想」があるようにも思われる。たとえ短期的に支持率が落ちてもいずれ回復する、あるいは広く知られた不祥事であっても時間がたてば忘却される。一喜一憂しない独特の時間感覚があるとしたら、それもまたムラを相対化する経験に基づく「俯瞰的視座」がもたらしたものであろう。 その菅氏が再び思い切った行動を取ったのが12年の自民党総裁選だ。07年に病気退陣して意気消沈するとともに捲土重来を期していた安倍氏を担ぎ、多数派工作を成功させて第2次安倍政権樹立の立役者となった。 梶山氏にせよ安倍氏にせよ、自民党内の秩序が揺らぐ政局時に菅氏は「これはと見込んだ候補」を担ぎ上げ勝負に出ている。共通するのはムラ社会の掟にとらわれず、猪突猛進する姿勢だ。これだけを見ると、菅氏の本領が発揮されるのは、裏方として「神輿を担ぐ」ときであるようにも思える。自ら泥をかぶることをいとわない行動力もあり、参謀というより軍師、あるいは財閥を支える番頭的である。 ===== 安倍晋三復活を仕掛ける(2012年) TOMOHIRO OHSUMI-BLOOMBERG/GETTY IMAGES しかし、菅氏は裏方に徹する政治家というわけでもない。第3次小泉改造内閣で竹中平蔵総務相を支える総務副大臣に着任し、06年9月に第1次安倍政権が発足すると、菅氏はそのまま昇格する形で総務相として初入閣。今度は自らが表に出て、NHK改革やふるさと納税導入に取り組む。ほかの族議員を差し置き、絶大な影響力を有するようになった菅氏は総務省という「庭」に君臨する存在になった。 菅氏の政策実現手法は、徹底した情報収集によって支えられている。官房長官時代に数多くの実業家、大学教授、ジャーナリストらと会食をこなすことで有名だったが、そのような人的情報と並んで、細部に宿る具体的な数字を重視すると言われている。それは情報の網羅性と詳細性こそが、政策課題への最適な対応と実現可能性を担保するからであり、また専門家の意見に耳を傾ける姿勢は梶山静六仕込みの党人派としての知恵でもあろう。 詳細な情報収集の末に課題解決の目星がつき、菅氏本人が腹をくくると、それから先は脇目も振らずに結果達成に向けて行動が始まる。それはあたかも、大学時代に菅氏が打ち込んだ空手の「型」のようだ。 決断前の段階では議論と再考の余地は残る。しかし一度決断がなされた後は、意思の貫徹と結果必達に焦点は絞られ、それまでに収集された情報や検討された議論が蒸し返される余地はほとんどない。 やると決めたら不退転の既定方針に 高齢者向けワクチン接種を7月末までに完了させると決めたら、あるいは東京五輪を開催すると決めたら、いずれも不退転の既定方針となる。官房長官時代の菅氏の逆鱗に触れた霞が関官僚の多くは、菅氏の中でフェーズが転換したポイントを見誤った人々だ。 こんなエピソードもある。菅氏は初当選した直後の国会で創価学会を批判していたが、小選挙区選挙では連立与党を組む公明党の選挙協力は欠かせない。情勢と時代の変化をつかんで、菅氏はいつの間にかに親・創価学会に転じ、佐藤浩・現副会長らとの間に太いパイプを構築した。 総務省が「いつの間にか」自家薬籠中の物となったこと、創価学会との間で「いつの間にか」太いパイプが構築されたことだけを見れば、単なる偶然か成り行きの結果ということもできよう。 しかし無派閥議員だった菅氏は安倍長期政権の中で、「いつの間にか」に鳩山邦夫創設のきさらぎ会やガネーシャの会、令和の会などを従えるようになり、昨年8月の安倍首相退陣表明後のわずか4日間で主要5派閥の支持を取り付け、圧勝した。 ===== 菅氏と同じように派閥を批判し無派閥になりながら、結局は水月会(石破派)という自分のムラを復古的に結成した石破茂氏は、他派閥から排撃された。無派閥というポジショニングは、そうした攻撃から身を守る防御術であると同時に、派閥同士の駆け引きから一歩引いている立場であるが故に派閥間の勢力均衡と妥協をもたらすことができる。 このような戦略性を支えるのが、経験主義に基づく帰納的思考、徹底的な情報収集に依拠する政治的決断、実績重視の戦闘的プラグマティズムだ。これが菅氏の思想と行動である。 ところが、そうした菅氏の政治スタイルの有効性がコロナ禍で暗転した。会食に向けられる厳しい目の中で、生きた人的情報を収集することがままならなくなり、他方で新型コロナウイルス感染症対策分科会による制度化された専門家情報の比重が高くなると、情報判断の網羅性に確信が持てなくなる。政治的決断の強度が低減するが、前例となる経験もない。 新型コロナという100年に1度の災難がもたらした混乱が、菅氏が完成させたはずの「型」を揺るがしている。 臨機応変な修正は「型」を破ると忌避 もちろん混乱したのは日本だけではない。しかし真の問題は、菅氏の思想と行動に、政策判断プロセスの隠匿性と実行手段の硬直性が本質的に包含されている点にある。 情報を網羅的に収集し尽くして判断するフェーズは基本的に菅氏自身の内部で完結しており、そこに透明性はない。デュープロセス(適正手続き)と真逆の発想であり、検証が不可能であるという点で熟議型民主政治と相いれない。政策的な決断がなされた後は、たとえ客観的な情勢が変化したとしても、柔軟な修正がされることはまれだ。臨機応変な修正は「型」を破るリスクがある、と忌避すらされる。 入管法改正案はスリランカ人女性の不審死で批判を浴び、あっさりと成立を諦めた。しかし、これは国対政治レベルで法案が手段化したケースであり、本質的な方針転換の例には当たらない。 菅氏が腹をくくった「コロナ禍での五輪開催」という命題については、どれだけ国会の予算委員会で追及されようとも同じ答弁が繰り返され、その硬直性に国民の不満が高まる。平時には菅氏の戦略を支える武器であり、実際に並み居るライバルを圧倒してきた「緻密な情報に立脚した判断の隠密性」と「決断後の猪突猛進性」が今、コロナ禍という乱世にあって皮肉にも菅氏を追い込んでいる。 ===== バイデン米大統領が就任後初めて会う外国首脳として訪米(4月16日) TOM BRENNER-REUTERS 日本をめぐる外交環境の変化で、苦境に立つ菅氏に一筋の光明が差すとみる向きもある。4月16日の日米首脳会談で、菅氏はジョー・バイデン米大統領が初めて直接会った外国指導者となった。バイデン政権は3月に公表した暫定版国家安全保障戦略指針で中国を「安定した開放的な国際秩序に挑戦する唯一の競争相手」に位置付けており、対抗措置として、日米豪印の「クアッド」や「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想の重要性が増している。そうした枠組みを実効的に運用していくためには、経済安全保障を踏まえた緻密な利益調整が必要となる。 インドのナレンドラ・モディ首相、オーストラリアのスコット・モリソン首相と異なり、菅氏は「番頭政治」のプロでもある。バイデン大統領にとってこれほど頼りになる同盟国の首脳はいないかもしれない。 国民が何を求めているのか 実際に戦後日本で長期政権樹立に成功した首相には、日米の蜜月関係を外交の基軸にしたという共通点がある。逆に対中融和路線を打ち出し短命に終わった首相もいた。 しかし、菅政権は党内主要派閥間の微妙な均衡の上に成り立っている。クアッドやFOIPの実務的要という役割を果たすには、反中と親中で揺れ動く自民党内の天秤を安定させるだけでなく、連立政権を組む公明党との間の天秤を保つことも必要となる。そうしたバランシングに失敗すれば、外交分野の得点で内政の失点を補おうとしてもおぼつかない。 コロナ禍で不安な国民が求めているのは、何よりもまず内政の安定であり、首相の丁寧な説明と臨機応変な対応だ。首相の言葉と行動に、国民は指導者としての高潔性(インテグリティ)を見いだす。菅氏には、安倍前首相と異なりイデオロギー的な岩盤支持層は存在しない。しかし徒手空拳で農村から上京し、議員秘書から宰相に上り詰めた努力の人を応援し、「巧言令色少なし仁」を地で行く口下手に好感を持つ人がいないわけではない。 ワクチン接種が進めば、いずれはコロナ禍も収まっていく。五輪と総選挙さえ乗り切れば、菅政権は望外の長期政権になるかもしれない。移り気な無党派層だけでなく、期待してきた庶民層が愛想を尽かさなければ、だが。

Source:Newsweek
政治家・菅義偉の「最大の強み」が今、五輪の強行と人心の離反を招く元凶に