2021
06.16

今からでも「五輪延期」を日本が発信すべき外交的理由

国際ニュースまとめ

<歴史ある「文化外交」の観点からすれば、日本は堂々と「東京五輪の開催は平和になるまで待ちます」と言えばよいだけ。国際スポーツイベントは外交の一種なのに、この国はメッセージを発する気概も中身も失ってしまった> 忘れてならない「平和の祭典」という本義 東京五輪開催の予定日が約ひと月後に迫ってきて、開催か否か世情を騒がせている。CNNのニュース番組では日本国民の多くが開催反対なのに開催するのか、と疑問を投げかけてもいる。 政府はここまでやる構えを示してきた以上、体面上ここで中止とはなかなか言いにくい。IOC(国際オリンピック委員会)からの開催要請も強いことが推測される。かといって、中止・延期となると、それなりの理由が必要で、ここにきて日本の感染状況を理由としたくないのは事実だろう。 政府がきちんと説明をしないので真意はわからないが、政府は対外的な意味では袋小路に陥っているように見える。そして最終的決定が開催であれ、開催中止であれ、既定方針に向かった努力は精一杯行った、それなりの国際評価は得られるだろうということではないか。事実追認による結果の正当化に徹する構えであるようにも見える。 何はともあれ、当面の無難な対応に終始する現在の日本社会の縮図も透けて見える。もはや日本が世界にアピールする機会は失われたのであろうか。 筆者は国際見識を発信する文化外交という別の角度から今回の五輪論争を見ている。感染者数は欧米諸国に比べて桁違いに少ない。医療体制や衛生観念からして頑張れば開催もできる。その国がどうして低姿勢で世界の支持を頼んだり、海外のメディアから批判されねばならないのであろうか。 文化外交の立場からすると、コロナ禍の東京五輪開催論争は、日本の見識を世界に発信する千載一遇の機会であったと思う。世界が注目している中、今こそ主役である私たちが開催国として世界に堂々と語りかけるべきなのである。しかし国内の開催論争は多くの場合そうした外向きの意識が希薄だ。 筆者は昨年3月、新型コロナウイルス感染拡大を理由に安倍総理が開催の1年延期を提案したころから、「東京五輪の実施は世界が平和を取り戻し、できるようになるまで待ちます」と一言言えばよいと言ってきたが、その気持ちに今も変わりはない(フォーサイト2020年3月24日付 【緊急提言】「文化外交」の観点から「五輪延期」いますぐ日本が決断をなど)。 開催時期も言う必要はない。コロナ禍がいつ収まるかわからないので、時期を決めることはかえって日本の行動を縛ることになる。実際そうなってぃる。 それに開催時期にはこだわらず、「世界の平和を待つ」、つまりコロナ禍終息を優先するという姿勢は「世界の平和」にまず努めるという、国際連帯と寛容さを伝える日本からのメッセージにもなるのではないか。そう考えたからである。 それから1年以上たって、事態は日本の選択肢を一層狭くしているが、それでもまだ「世界がコロナ禍を克服し平和になるまで待ちます。五輪は世界平和の象徴的行事だから、それまで延期します」とは胸を張って言えると思う。「平和の祭典」だから、世界の人々が安心し、心から楽しめることが本義だ。観客数の制限や感染対策は本来付随的要件である。 言わずもがなと思われる人も多いかもしれないが、この当たり前のようなメッセージをずっと言い続けていたら、日本の世界平和へのアピール力は違っていたのではないかとも思う。首脳会議で主要国のきわどい開催の支持を仰ぐよりはるかにわかりやすい態度だし、外交当局も対応しやすかったのでないか。事実の追認による無難な着地よりは、しかるべき発信をした方がよいと思う。 ただし、今の時点だから、日本の発言は「世界のために貢献し、強い連帯感を持っている」という日本の国際見識をしっかりとアピールすることだ。「平和」や「連帯感」は決して枕詞ではないことを伝えるために意を尽くすことだ。開催の可否以上に、重要なのは発信する姿だ。筆者の主張のポイントはそれに尽きる。 ===== 文化外交再考の必要性――国際見識の発信 もちろん筆者のこの提案は原則論と言えばそれまでである。「世界平和」を強調したからと言ってそのことで何も特別なことは言っていないことも確かだ。中学生の優等生でも言えるだろう。 しかしこの種の発言はコンテクストとタイミングによってニュアンスが変わる。あとで述べるが本稿で筆者が強調したいもう一つの点だ。それこそメッセージ伝達という文化外交の核心だからだ。 国際スポーツ・文化イベントはもはや「たかがスポーツ」ではないし、単なる「娯楽のひとつ」として軽く扱える時代ではなくなっている。スポーツ行事と文化行事を同列に議論してよいかという疑問をもつ向きもあるかもしれないが、ここでは人々に感動やメッセージを与える国際的交流活動という意味でいずれも文化外交の一部と考えたい。 今や往時の勢いはなく、経済力や科学技術力の比較優位が容易に維持できなくなったグローバリゼーションの時代の日本の外交を支えていくには、世界を視野に入れた国際見識を持ち、それをしっかりとメッセージとして伝えていくことが不可欠だと日ごろから筆者は思っている。 つまり様々な媒体を通して相手方の一般国民に働きかける「パブリック・ディプロマシー」だ。詳しく定義する紙幅の余裕はないが、筆者は政府の政策をダイレクトに伝える政策広報活動と区別する意味から、それを広い意味での「文化外交」と呼んでいる。 奇しくもコロナ禍の中の五輪開催という試練はその試金石となった。その意味では国内事情や利得をめぐる議論が大半を占めるのは残念だ。その背景には正しい意味での文化外交についての認識がないことがある。 「文化外交」とは――国際文化交流と外交 文化外交というと、読者は何を思い浮かべるだろうか。国際交流イベント、ある種のお祭りという印象を漠然と持つ人が多いのではないか。もちろんそれがまったく間違っているわけではない。しかしここで言うのは「外交としての国際交流活動」である。実は文化外交を根付かせようという試みは日本では明治初期まで歴史をさかのぼる。 簡単にポイントだけ紹介すると、それはまず万国博覧会への参加から始まった。1862年の第2回ロンドン博覧会に幕府派遣の竹内下野守保徳・使節団の一行38人が出席したが、一行は駐日公使ラザフォード・オールコックが漆器を中心に収集した陶器、刀剣などの日本の物品が展示されていたことに驚いたという記録が残っている。 67年パリ博覧会には徳川慶喜の弟、昭武を代表とする使節団が正式に派遣された。NHK大河ドラマ『晴天を衝け』の主人公であり、日本資本主義の生みの親と言われる渋沢栄一はその使節団の一員として渡仏し、蒙を啓いた。 明治新政府はこの万国博覧会の出席に強い意欲を見せ、明治6(1873)年のウィーンでの万国博覧会を皮切りに積極的に参加した。78年パリ万博ではトロカデロ広場に日本の農家を模したハウスが建設され、日本人の日常生活も紹介された。 日本から送られてきた陶器の包み箱の包装紙の「北斎漫画」にフランス人の版画家フェリクス・ブラックモンが高い芸術性を認め、その後フランス人美術評論家ビュルティが「ジャポニズム」と命名し、世界の芸術分野でその足跡を残した日本芸術ブームはこの時代から第一次大戦前までのころである。しかしそれは外交と呼べるレベルには達しなかった。 日本が本格的に文化外交を意識し始めるのは、第一次大戦後であった。大戦以後、国際連盟常任理事国として五大国の一員となった日本は、1934年に戦後の国際交流基金の前身である国際文化振興会を設立した。同じ年にはイギリスでブリティッシュ・カウンシルも設立されている。その意味では日本は決して世界に後れを取っていたわけではなかった。 その後対外文化政策は植民地主義の同化政策へと変貌していった。その代表例が有名な満州映画協会(満映)による国策映画の製作などであった。 ===== 「文化外交」という言葉を初めて使ったのは吉田茂だといわれる。戦前吉田が駐イタリア大使の頃(1930~31年)、文化面での日本とイタリアとの関係強化を主張した発言があったという。やはり1938年外務省発行の小冊子『外交の新しき指標—-文化協定の話—-』の中にも「文化外交」という言葉が散見される。 またスポーツ外交という言葉を使った人は、杉村陽太郎である。NHK大河ドラマ『いだてん』でも出てきたが、「幻の東京五輪」と呼ばれる1940年の東京五輪開催を決めた1936年ベルリン五輪の際のIOCとの調整に一役買ったのが、この当時イタリア大使であった杉村だった。役職上IOCの日本委員でもあった杉村はムッソリーニとJOC(日本オリンピック委員会)代表嘉納治五郎の直接会談のお膳立てをした。 杉村自身スポーツマンで柔道五段、水泳にも長じ、駐フランス大使時代に当時大人気であったドーバー海峡を泳ぎ渡る企画に挑戦するといって物議をかもした剛毅なスポーツマン大使だった。日米開戦前に他界したが、もし存命していたらその後の日本外交も違っていたかもしれないと惜しまれる人材だ。 そして第二次大戦後、復興を成し遂げ、経済大国となった日本が米国との経済摩擦が熾烈化する中で日本の穏健なイメージを国際社会に伝えることを意図して設立されたのが、今日の国際交流基金である。 コンテクスト(物語化)とタイミング 戦前の文化外交と国際交流基金では国際文化交流の活性化という点では同じだが、その成立や目的は違う。戦前の文化外交は大日本帝国の国威発揚と植民地拡大のための外交手段としての政治的意味を持っていたが、国際交流基金は政治色を抜きにした文化交流を目的としたからである。その意図は今日大成功したといっていい。 しかし政治にはかかわらないという原則は、国際文化交流拡大の積極的な成功要因ではあったが、国際文化行事が多様化していく中でそれぞれの行事の位置づけや意味づけが曖昧なものとなっていく。人集めやお祭り騒ぎの一過性の行事に終わってしまうものも多いのではないか。 戦前と違い、デモクラシーの安定した国である今日の日本の東京五輪には、1940年の「幻の東京五輪」が掲げた「皇紀2600年」を祝う国威発揚のための大義も、1964年の東京五輪の敗戦から立ち直り戦後復興先進国の仲間入りの証しを世界に標榜する気負いもない。 それだけ日本が豊かになった証拠だが、コロナ禍の中「3.11からの復興五輪」のスローガンさえ霧散してしまった。目標の動揺は今回の五輪をめぐる議論の迷走状態の大きな背景にもなっていると筆者は思う。 国際化を論じるに際しては、政治/外交・経済/ビジネス活動・文化的価値観の3つの目的/手段がどういう関係にあるのか、という三角形の構図の中でイベントの方向性がある程度決まると、筆者は考えている。この点についてはここで議論する余裕はないが、実際には日本外交は多くの場合、それぞれの関係が切り離されている。あえていえば大抵のイベントがすぐに経済/ビジネス活動と結びつけて考えられる。 今回の五輪をめぐる議論もその例だ。しかし日本はもはやそのレベルの国ではないはずだ。豊かな国の一員として世界をリードする見識を伝える側の国であってほしいと筆者は思う。価値観の交流・メッセージ交換のための文化的行事を政治/外交活動とどのように結びつけて発信するのか。その関連づけが依然として希薄なのではないかと思う。 そのうえで、本稿の主張との関連で筆者がより重要だと思うのは、発信にはタイミング・コンテキスト(文脈)が不可欠だという点だ。つまり主張のショーアップの仕方だ。簡単に言えば効果的発信の模索である。 日本人はそれが得意ではない。「黙して語らず」の同一性の高い社会だからである。日本文化は明確な発言を殊更に必要としないどころか、それを善しとしないところすらある文化だからだ。 ===== 筆者は広報文化外交の成功には、「メッセージの概念化」、「文脈化(ストーリー化)」、「継続性」、そして「ネットワーク」が不可欠と考えている。 五輪の場合には世界の平和と繁栄という「概念(理想)」は明らかだから、コロナ禍の状況でそれを世界に日本のメッセージとしてどのように伝えるのか。その問いが弱かったのだと思っている。それはより普遍的な立ち位置からの発言であることが望ましい。 そして発信にはタイミングやその背景と結果に対する一連のストーリー(文脈)がとても重要だ。これはわが国の外交ではあまり意識されてこなかったことだ。世界の平和を祈念し、それを文化・スポーツで実現する日本という国のメッセージを送る絶好の機会が五輪だ。 5~6年ほど前にベルリンにあるドイツ文化外交研究所で研究部長と議論したときに、「コンテクスト」について話題が及んだ。かれはそれを文化外交の「枠組み」として定式化していると指摘した。表現は違っても発想の普遍性を確認して議論が盛り上がったことがあるが、こうした議論の場は日本ではまだ少ない。 発信しない事後追認型決定とその準備――矮小化される「議論」 そうした立場から見ると、現在までの政府の対応は、せっかく世界が注目しているというのに、むざむざと日本外交の発信のチャンスを逃そうとしているようにわたしには見えて仕方がない。 世界は今日本に注目している。何とか世界に日本からのメッセージを送ることはできないのか。本当にこの国には発信する気概も中身も失われているのであろうか。 それがなかなか政治家や大メディアを含む「日本のリーダーたち」には響かないのである。 それは日本の社会システムとその基層にある精神構造を反映している。本稿の趣旨ではないが、最後に一言付け加えたい。 実は議論の出発点が庶民と「日本のリーダー」とでは異なる。「リーダー」たちにとって五輪実施は大原則なのだから、ということから議論が始まる。「お上」が決めた大原則を変更することは場合によっては甚大な責任問題につながる。 「何のために」という世界に向けた基本的な問いかけが希薄なままの議論だから、話がその方向に展開し始めると、開催の是非論は状況判断とその技術的な数字をめぐる議論に埋没していく。ともかく開催には全力で努めた。しかし結論がどちらになろうが、事後追認が可能となる無難な環境づくりが優先される。実直な努力の姿勢は評価されようが、日本の意思の発信は後回しだ。 筆者流の言い方をすると、「なる外交」であって、「する外交」にはなっていないからだ。 そして今の段階で主体性を示せるとしたら、「延期」か「中止」しかない。 こうした論法では、大義に照らした主体的な判断をするという発想は後ろに引っ込んでしまう。五輪の実現そのものが自己目的化してしまう。それは無難な対応の積み重ねを是とする硬直化した日本の「エリート」体質に今やなっている。 「安心できる環境の中、みんなで楽しくやろうよ」――これはいたって素朴な庶民感覚である。それはそのまま世界に通じるメッセージだ。 なぜその一言が世界に対して言えないのだろうか。日本の顔は世界が注目する中で今回もまた不鮮明だ。

Source:Newsweek
今からでも「五輪延期」を日本が発信すべき外交的理由